あけましておめでとうございます
新年あけましておめでとうございます。
12月23日から妻、娘、犬は実家に旅立ち、毎日のご飯、散歩、ご飯、散歩のルーティンが突如なくなって「これが独身の時間軸か?」と驚いています。まず自分が動くことでしか部屋が乱れない。これはとてつもない発見です。娘と犬が動いたあとは焼け野原で、片付けども片付けども我が暮らしに整理整頓なし……と途方にくれていたのも幻だったようです。
そこから一週間。原稿に集中して文章を書き続けているのですが、進捗が捗っているか?と言われたら「ぼちぼちでんな」としか返せません。犬の散歩がないだけでこんなにも人は寝てしまうのかと。入院中ぐらい毎日寝ているため、頭がボーっとしています。健康のために犬を飼い始めた側面もあるんですが、毎日大変!と思っていた散歩はやはり心身にポジティブすぎたようです。失ってから、気づくことがある。いや、ピンピン生きてるんだけど。
Nazのうっめえやつ
合間に起きた出来事は、日本トップレベルのレストランである軽井沢『Restaurant Naz』でとんでもねえメシを食べたこと。人生で一番の価格でした。ノンアルペアリングで約6.5万円。あまり詳しく書きすぎるとフーディー扱いされかねないんですが、普段はほぼ自炊人間です。
たまに高刺激の情報グルメを味わうと、もはや料理漫画の奥底に舌ごと引っ張られて、ぐるんぐるんと叩きつけられる感覚に陥ります。おいしすぎて帰宅途中の車で眠くなりました。杉田玄白を連れていきたい。
もうひとつは、自著『おまえの俺をおしえてくれ』を編集してくれた柳下さんと12時間飲んだことです。18時過ぎから自宅で飲みはじめて、気づけば6時でした。何をそんな話すことがあるんだ?と思うでしょう。年末特有の空気がそうさせたのかもしれませんが、確実に脳の損傷を受けています。こっちだって望んだ捨て身なんですよ。
意味から逸脱して、よくわからない時間を共有する。ここに次のヒントが隠されている気がするんですけど、深夜2時と早朝5時に録ったPodcastを聴いてみたら「ただの酔っ払いだな」と確認することができました。
そして大晦日は格闘技のPPV『RIZIN 師走の超強者祭り』。13時過ぎから21時近くまで放送していたんですが、これでも終わるの早い方です。去年は日付またいでたもんなぁ。めちゃめちゃおもしろかったです。やっぱりリアルタイム観戦がベスト。
後追いで気になるカードだけ観てもぜんぜんよくないというか、早送りしちゃうし、その過程で頭出しされるサムネイルでネタバレしちゃう問題があって。自分都合で飛ばせないのはエンタメを楽しむ上で重要すぎる。映画感の体験価値が高まっているのも完全に同じ理由で、逆に自分都合で飛ばせる感覚を持ちすぎると、実社会の理不尽さに耐えられなくなりそう。
というわけでいま新年を迎えたんですが、家族のいない年末年始の過ごし方には慣れているものの、どんどん感情が無になってくるのもまた事実。心の揺らぎと刺激が激減する。これもまた自分都合で時間が流れるので、現代社会のむずかしさとリンクする瞬間がちょいちょいあります。
集落のどんど焼き
共同体で集まって餅をつく、年越しに合わせて初詣に行く、おせち料理を3日かけて家族全員でつつく……このどれもが幼少期から体験として抜け落ちていて、「家族をする」のがいまだ苦手なんですけど、新年に合わせて感情を増幅し、過去の思い出話から未来の子どもを集めて語り合う。改めて出会い直す時間は、人間の心にとても重要なんじゃないかといま気づきました。遅すぎた。なぜなら知らないから。
そこには家があり、地元があり、古い友人がいる。そのどれもに距離を置いてしまう生き方を選んでいる自分は、どこまでいっても風のようになってしまう。心を繋ぎ止める感情が希薄である。このマイノリティ感は一生拭えないと思うものの、様式美と行事が与えるプレッシャーに抗う術はありません。どんな時間をどの土地で過ごしても何も問題はない。行動次第でどうとでもなる。
その前提に立った上で、自分には人一倍の全国を行き来するエネルギーが生まれているとよく思う。過剰な行動の裏には逸脱した感情があり、その感情はマジョリティの当たり前が表に威風堂々と立っているからこそ際立つ。陰と陽の関係性を見れば明らか。この差異の発見がまた自分の表現の血肉になっていくので結果オーライなんです。
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