範疇が重ならないときに賞味期限が切れる
「人間関係には賞味期限がある」
ある先輩に投げかけられた言葉のひとつだ。シビアで残酷な側面を持っている考え方ともいえるが、人間が生きていくなかの逡巡としてこの意味を咀嚼することは大事だなと思う。
自分なりに解釈した考えとして浮かんだのは、わたしの範疇とあなたの範疇が重ならないときに賞味期限が切れていた説だ。すでに認識と態度のズレは起きていて、時間の経過とともに範疇の円みたいなものが重ならないことは往々にしてあるだろう。
過去、誰かとの別れ目を思い返しても似た情景が浮かぶ。範疇はかなり抽象的な表現だが、類似性の高い状態にこそ共感と目的が生まれて、同じ方向に強く一歩ずつ進むことが可能である。しかし、意図して方向は変わる。興味関心だったり、年齢だったり、抱えている何かだったり……我々はバラバラで生きて成長してきた人間であることをつい忘れてしまう。
範疇が重ならないときに人は袂を分かつ。その選択はほぼ正解だと思いたい。
なぜなら、自己決定の推進力はとてもエネルギーがあり、後ろを振り向かなければマルチバース的な新たな世界で生きることができるからだ。人生の大半は人間関係で苦労するものだが、新たな世界にいともたやすく移ることが可能なのである。脳の認識と目線の態度をガラっと変えれば、そこはもう別世界。ええやん、ええやん。
こんなシンプルなことも霧が晴れなければ、ふと思いつくこともない。1月は移動とイベントと雪が多すぎた。あっという間に一年の1/12が終わってしまい、心身のパラメーターは目減りしてしまった。ちょっと詰め込みすぎたなと反省しているぐらいで、おれはいつまでこんな人生を送るんだろうか?と相変わらずの自己矛盾と娘を愛でて、しっかり眠りにつきたい。
きっと2月も忙しい。3月は年度末のやばさが押し寄せるだろう。
自分の才能の群れとして「やらないことを決めない」「思いついたことは全部やる」「やるやつの相談はやる」がある。このバカな群れがずっと襲いかかってきていて、もう深く考えることをやめてしまった。人生なるようになるし、どれだけこぼれ落ちても、形になるものは形になる。そして帳尻は全部合うんだよなと心底信じているのだ。
この範疇はとても大きい。重なる人間が無数に増えていく。我ながら恐ろしい人間の量と付き合っているなと思う。仕事も暮らしも何も追いついていないが、ストレス値の比例して届くAmazonの段ボールを解体し、届いた商品を確認し、段ボールを燃やしたらスッキリした。必要以上、除雪機を動かして、無心に雪を飛ばしてやった。
降り積もる豪雪地帯の集落で、犬とともに8時間過ごすだけで瞑想的なゾーンに入れるのはこの土地の素晴らしさなんだなと久しぶりに発見することができた。カラスの羽の音が「ブンブンブン」と鳴っているのが耳に飛び込んでくるぐらい静かで、木々にかかったしっとりとした雪の造形にも感動してしまった。次のステップとして、この土日で創作を取り戻したい。
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