早すぎた「分人」と「統合」

本名と柿次郎の2ルートで生きてきた道筋
kakijiro 2026.04.10
誰でも

21歳から本名の「洋平」と「柿次郎」を使い分けて生きてきた。

ただ先輩からインターネット上のHNとして名付けられただけなのだが、気づけば本名よりも長く「柿次郎」を背負ってきているので、これは早めに分人主義を実践していたんだなと気づいた。

しかも、柿次郎の「柿」をタトゥーとして背中に彫っている。

どうかしてるかと思う。どうかしていたんだろう。

本来の人格を上書きする行為として、新たな自分を作り上げる衝動みたいなものだった。結果としては大正解。本名のままでは生きていられない、ままならぬ自信のなさが当時あったし、「柿次郎」の有効性に手応えを感じていた。

いま世の中で私のことをBルートの「柿次郎」で呼ぶ人が99%だ。1%の「洋平」」呼びは誰なのか。名付け親の先輩(シモダ)だけが、気まぐれの天邪鬼モンスターとしてその振る舞いをとっている。もしかしたら罪悪感なのかもしれない。もしくは本名の世界線の手綱を唯一握ってくれる使命を受けているのか。不思議と怒りはなく、その理不尽を面白がっている。

先日のトークイベントで「柿次郎として旅をしているのか?洋平として旅をしているのか?」と質問をされて、考えたことのない質問で戸惑ってしまった。同時にとてもいい質問だとも思った。私が私であるかどうか。人生を切り拓く旅という行為は、どっちの人格で楽しんでいるのか。

「うーん、大半は仕事で行くことが多いから、柿次郎で旅してると思います」

こう答えるのが精一杯だった。じゃあ、仕事じゃなければ洋平の旅に自然と切り替わるのか?  少し疑問が残る。なぜなら、20代以降のインターネット活動が「柿次郎」で駆動していて、その積み上げの先に30代からのジモコロ編集長としての「柿次郎」が現在の立場を大きく作ってくれている。つまり、40代の選択ひとつひとつも「柿次郎」の土台によって成り立っていくのではないだろうか。

かなり気の狂った段落になってしまって、少し笑ってしまった。この問いを考えるとせっかく統合していた人格の薄皮がペリペリとめくれる感覚がある。もはやほぼ洋平と柿次郎は、ほぼ統合している説。親父が死んだら本名を柿次郎に変えようとすら思えているからだ。

しかし、子どもが産まれてからなのか。会社という乗り物を小さくしたからだろうか。はたまたこの作家的活動に軸足を使い始めたからなのか。うまく演じてきた明るく元気で責任感のある柿次郎の仮面が薄くなってきていて、本来の洋平が前に出てきている感覚もある。スト2のバルログを想起した。仮面が外れても同じ顔なのがおもしろい。

分人の効能はとても強い。タトゥーを彫ることでその意味合いは強くなり、本名よりも芸名が上回ることも「名前」が持つ呪い的なパワーが成す業だ。自分の思い込みを切り離して、新しいパフォーマンスに躊躇がなくなる。狂気が原資となって、行動や発言のリミッターを外すことも可能だ。しかし、分人の差分、心の揺れ、過去の自分に立ち返る時間はとても心が疲れるのもわかってきた。

わたしはいつまで柿次郎でいられるのか。いやでも、本名にはもう戻れないだろう。心の端っこに追いやって、足に鎖を繋げている。出番は経営者としての契約書のサイン、宿泊名簿のサインぐらいだろうか。ちなみに結婚式はほぼ徳谷柿次郎になっている。

ああ、あとは娘が大きくなったときにどう伝えるかがターニングポイントになりそうだな。保育園は本名だった。息が詰まるような社会のムードを打破すべく、早々に本名を切り替えたほうがいいのかもしれない。

調べたら正当な理由が認められたら、たった一枚の書類で変更可能だそうだ。読んでくれた人の意見を聞いてみたい。分人主義の新たな一歩、タトゥーからのガチ名前変更。自分の人生にどんな変化が起きるのか。楽しみでもある。

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