振り返ることは独立である
年末らしく無理やりなタイトルを考えた。noteで2025年を振り返ってみたが、目の前の情報が過度にあふれている情報社会の中で大事な行為なのかもなと思えた。理由は簡単で、振り返って文章にしたためることで過去から独立できるからである。
もちろんボーっと過ごして、正月を迎えれば2025年は立派な過去となる。大晦日ギリギリの振り返りが「今年はこんなことがあったね」も暦上の日付をまたげば、「去年はこんなことがあったね」に切り替わるぐらい空虚なものだなとも思う。
人間の脳と感性が時間に支配されていることは間違いがいないのだけれど、この思い込みがあるから良いことも悪いことも記憶の中で整理できる。戦争や災害と付き合ってきた人類史における救いのような機能なのかもしれない。
人生の大半はつらいことで占められている。幼少期や青春時代の体験がとても長く、充足した記憶だと捉えられるのは、比較対象が少ないなかで”新たな刺激と好奇心に満ちて、成長と学びの温泉に入っていられたから”じゃないだろうか。
皮肉めいた視点が入っているのは、私自身はその温泉にしっかり浸かれた感覚がないからでもある。この温泉の比喩は、浸かりすぎてものぼせるし、浸からなさすぎても心が冷え切ることもあるので、どっちが良いという話ではない。
ああ、しまった。振り返ることを振り返ってしまった。いまこの文章を12月31日の0時30分に書いているのは、このニュースレターのテーマでもある独立未満そのもなのかもしれないと思ったからだ。あと1日過ごせば、2025年から独立できる。2026年を新たな気持ちで迎えることができる。良いことも悪いことも、ひとつの区切りで明日を考えられるのはとてもいい習慣だ。
みなさん、よいお年を。明日は「RIZIN師走の超強者祭り」のPPVを観るぞ。
Podcast「徳谷柿次郎の作家になりたい!」年内最終更新です。
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